Sonic Youthについて
1970代も終わる頃、ニューヨークに出てきたサーストン、リー、キムが各々の音楽活動を通じて知り合い、ソニック・ユースの歴史は始まる。
サーストンはコーチメンというグループで活動。それを見に来たキムと意気投合(というか付き合い始めた)して、レッド・ミルクというグループを結成。このバンドは短命で終わったが、サーストンが企画した「ノイズ・フェス」で初めてソニック・ユースの名前で登場。ほどなくしてリーが加わり、結成して僅か2ヶ月で1stEP “SONIC YOUTH” を発表。当初はドラマーが固定しておらず、リチャード・エドソン、ジム・スクラヴノス、ボブ・バートと入れ替わっていた。’83年には1stアルバム “CONFUSION IS SEX” を発表し、ライヴを通して徐々にその名を広めていく。’85年には初期の傑作 “BAD MOON RISING” をリリース。’86年発表の “EVOL” よりドラムがスティーヴとなり、現在までの不動のラインナップが揃う。その後も “SISTER”(’87年)や変名バンドCICCONE YOUTHによる “THE WHITEY ALBUM”(’88年)を経て、’88年にはインディー期の大傑作 “DAYDREAM NATION”を置き土産に、いよいよソニック・ユースは’90年にメジャーのゲフィンと契約する。
メジャーと契約しつつも、彼らはサイドプロジェクトによる活動の自由を得たり、有能なインディー・バンドをメジャーに引っ張るA&R的な役割も果たすなど、90年代におけるロック・シーンにおいて絶大な影響力を持つようになった。メジャーで従来と変わらない姿勢を保ちながらアルバムをリリースしつつも、彼らが立ち上げたSYRというレーベルからはインプロヴィゼーション色の濃い、実験的な作品をリリースといったような使い分けをしているところが彼ららしい。
ゲフィンからは “GOO” を’90年にリリースし、’92年にはニルヴァーナの『ネヴァーマインド』と共に90年代初期のグランジ・ブームを象徴するような “DIRTY” をリリース。過激なソニック・ユースのイメージの印象はこの辺りで形成されたのではないだろうか?その反動のような “EXPERIMENTAL JET SET, TRASH AND NO STAR”(’94)では極力ノイズを排したような作りで、前作で飛びついた人たちはたちまち離れてしまう。しかしそんなのどこ吹く風の如く’95年には “WASHING MACHINE”、’98年には “A THOUSAND LEAVES”をリリース。2000年にはツアー中に楽器をすべて盗まれてしまうというアクシデントに見舞われながらも “NYC GHOTS & FLOWERS”、9.11テロを挟んで製作された “MURRAY STREET”(’02)、そして “SONIC NURSE”(’04)では孤高の存在感をアピールした。結成20年以上が経った今も彼らはデビュー時と変わらずノイズを撒き散らし、その姿勢は今後も変わることがないだろう。